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2011.04.22 (Fri)

実家に激震!

一昨日、里の兄嫁から電話があって、
「あの、驚かないでね、実は、大変なことが起こったのよ」

思わず、「えっ、なに?病気?誰に?」と矢継ぎ早に聞いてしまった。
てっきり、兄が事故でも起こしたか、倒れたか・・

「違う、違う、あのねぇ、市原市の市長選に立候補すると言ってるのよ」
「ええっ、立候補!」事件じゃないか。

次の瞬間、不安と驚きと、何ともいえぬ、おかしみのような感情が湧き上がった。

兄、松本靖彦が市原市長に立候補。これはまさしく青天の霹靂。人口28万人の市だ。

姉は私に、やめるように説得をしてほしいと言ってきたのだ。
それはそうだろう。今まで教育畑一筋で、一番縁がなさそうな感じに見えたが・・。

「いつ、そんなことを考えたのかしら?私もびっくりだけど。」

「最近急に言いだして、やめたほうがいい、やめてほしいって、何度も言ったんだけど
もう決めたっていうのよ。」

ふうん・・、なら、誰が説得しても仕方がないわねえ。
兄の性格からして、なにか、心になみなみならぬ、思いがあっての事だろう。

説得に応じるくらいなら、決めていない。

兄は数年前まで中学校の校長を務めていた。
教員時代は陸上競技を通じて、子供たちの能力を最大限に引き出す
指導法でカリスマ的であった。

その道において知られることもなかった学校を
2年、3年の内に県下で指折りになるようにしていった。

若いころは自ら三段跳び、高跳びの選手でもあった。
基礎体力は、オリンピック選手と変わらない、などと言いながら

練習のし過ぎで、身体を壊し、育てる側に回ったのだろう。
母は「よくあれほど夢中になれるものだ。」心配していた。

両親をハラハラさせたり、感心させたり、あきれさせたり、
しかし、その兄と、一緒に暮らしながら

両親共、90歳以上長生きしたのだからまあいいか。
本当は気がかりで、しねなかった・・とか。

退職してからは、生まれ育った、加茂地区、飯給をこよなく愛し、
仲間を誘って、懐かしのふるさと再生運動を始めた。

むろん、陸連の仕事等は続けながらだが・・。

たまに私が里帰りをすると、家の片隅にある山小屋で
いかに多くの滝を見つけ出したか、

田舎の駅や、田んぼや山々の連なりが美しいか、
写真に撮ってあって自慢するのだ。

年金もみーんなそういうことに使ってしまうので
いつも財布は空っぽだ。〈もっと空っぽになると姉は恐れているのだ、きっと。〉

子供の頃、家の神棚には筆がきで、
「清く、正しく、逞しく、涙のある人であるやうに」と書いた紙がはってあった。

このたび、兄が立候補を決断した動機というのが
遠方から安心を求めてこられた被災者に対して市の態度が実におざなりであったこと。

今後何が起こるかわからない状況の中で、人間に冷たい行政は
納得できない。今後の4年間は非常に重要で不戦勝はいけない。

その理由を聞いて反対する理由はない。

ただ、兄の性格が政治の世界に向くかといえば難しい。
要は大きな声で意見が言いたいのだと思う。大勢の人に「これでいいのか!」と。

傷つくことが多かろうと思えば、やめろと言いたいところもある。

だが、挑戦する面白さは「有り」だろう。
みんな、本気で本音の生活者の言葉を待っている。

私は兄の勇気〈向こう見ず〉を褒めて「いい、ポスターが出来るといいわね。」といった。

周り中を大きな渦に巻き込みながら、今日も弟のような兄がゆく。









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